京西清談は、私が東京の世田谷に住んでいるからと、気持ちが癒される、あるいは、”ほっ”とする話題を提供したいからです。
 
愛すべきおバカさんは世界平和に大事かも!そしてあなたは愛すべきおバカさんですか

愛すべきおバカさんは世界平和に大事かも!そしてあなたは愛すべきおバカさんですか

現在、ウクライナでの戦争、イスラエル軍のガザへの進攻、アフリカ各地での内戦が続いています。もし、自分がウクライナの国民であったら、あるいはガザの住民であったらと考えると恐ろしくなります。

歴史をひも解いてみると野心を持った人物は、周りの国を侵略して、その国の人民を殺し、その国の富みを略奪して自国の領土を広げてきました。そのような人物は英雄として国民からは拍手喝采、尊敬されます。

本ブログで英雄の話をするつもりはありません。私が議論するのは英雄と呼ばれる人物ではなくて、その英雄に拍手喝采する国民、つまり普通に生活する人々のメンタリティに対してです。

命について考えてみます。自分にとって一番大事なものは自分の命で、その次に家族の命ではないかと思います。友人に不幸があれば悲しくなります。しかし、赤の他人の命に対して、ましてや他国の人々の命となるとかなり打算的になります。他国の人々の命と引き替えに自国の国民に富みが与えられるのであれば、そのような不幸な出来事を引き起こしたリーダー、つまり英雄と言われる人に国民は拍手喝采するでしょう。

「命は地球より重い」と言った元首相がいますが、「日本人の命は地球より重い」が本音ではないかと推測します。もし、北朝鮮が侵略してきたら、我々は「北朝鮮の人々の命は地球より重い」と言えるでしょうか。本音は「鬼畜北朝鮮!ぶっ殺せ」そして「座して死を待つより自衛隊よ、戦え!私と家族を守ってくれ」でしょう。かなり身勝手なメンタリティが現実的だと思います。ここで本ブログは、何か出口のないトンネルに入った気がします。

昔、エルビスプレスリーが歌ってヒットした「A fool such as I」をふっと思い出しました。

Pardon me, if I’m sentimental
When we say goodbye
Don’t be angry with me should I cry
When you’re gone, yet I’ll dream
A little dream as years go by
Now and then there’s a fool such as I

Now and then there’s a fool such as I am over you
You taught me how to love
And now you say that we are through
I’m a fool, but I’ll love you dear
Until the day I die
Now and then there’s a fool such as I

(翻訳)別れ言葉に僕が感傷的になっても許してね
別れに際に僕が泣いてもどうか怒らないで
君が去り、時が過ぎても僕はまだ夢を見るよ
きっと君との夢を少しだけ見ているだろう

ときどき、僕のようなバカがいるんだよね
愛を教えてくれた君がもう終わりだと言う
僕はバカ、きっと死ぬまで君を愛すだろう
ときどき、僕のようなバカがいるんだよね
Saigottimoさんのブログの翻訳を引用させてもらいます)

優しい心の持ち主をバカと言うなら、そんなバカも悪くないです。私は前向きに考えています。そんなバカは少なからず居ると信じていますし、増殖すると思っています。そして、戦争もない紛争もない世界が生まれるかもしれません。

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