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夭逝の画家、三橋節子さんの作品を解説する本を紹介します

夭逝の画家、三橋節子さんの作品を解説する本を紹介します

私の友人、佐々木保行さんが最近上梓した「蘇る『湖の伝説』」(文芸社、本体700円 税別)は夭逝の画家、三橋節子を取り上げています。

三橋節子さんは28歳の時、日本画家の鈴木靖将さんと結婚、2人の子供に恵まれました。しかし、右鎖骨腫瘍で右手を切断する手術が必要となり絵筆を握る右手が無くなります。更に余命1年との診断が下されたのです。当に幸せの絶頂から絶望の深い谷に突き落とされたのです。この時の三橋節子さんの心の葛藤は計り知れないと想像します。手術後に三橋節子さんは絵筆を持つ手を左手に変えて創作活動を続けました。しかし病魔は彼女の命を奪い去ったのです。1975年逝去、享年35歳でした。

三橋節子さんの画家としての活動は3段階に分かれると佐々木さんは述べています。佐々木さんの言葉を引用します。【草木・花に特別な思いを抱いて描き続けた第一段階(美大入学から1967年)である。節子さんが描こうとした草木は、その後の彼女の絵の中に通奏低音のように、最晩年の「花折峠」に至るまで静かになり続けることになる。1967年のインド研修旅行を経てから「人間への関心」を持ち、人物を描くことに自信を抱くようになった。ここから降りかかった病気を知るまでが第二段階(~1972年)と言われている。それ以降(~1975年)が第3段階である】

本書は三橋節子さんの作品の画像が多く収められています。佐々木さんはそれぞれの作品の解説をしています。私は佐々木さんの解説の部分が本書でじっくり読んで欲しい部分です。表題作「蘇る『湖の伝説』で取り上げている三橋節子さんの作品「湖の伝説」は術後、つまり第3段階で制作した作品です。「湖の伝説」は「三井の晩鐘」という民話をモチーフにして制作されています。

民話「三井の晩鐘」とは次のような内容です。【むかしむかしのある日のこと・・・琵琶湖で子どもたちにいじめられていた蛇を若い漁師が助けました。すると、その夜、漁師のもとに女の人が訪ねてきました。やがて二人は結婚して子を授かります。出産が近づくと、妻は若者に「近づかないように」と言って産小屋に籠もりますが・・・気になる若者は産小屋をのぞいてしまいました。若者が見たのは大蛇が赤子を取り巻いている光景でした。本当の姿を見られた妻は赤子を残して琵琶湖に姿を消したそうです。その後、赤子は妻が残していった「玉」をなめて育っていきますが・・・噂を聞きつけた領主に「玉」を取り上げられてしまいます。困った若者。すると琵琶湖から龍が現れます。その龍は、以前、浜で若者が助けた蛇でした。そして、赤子がなめていたのは龍の片目だったのだそうです。龍は若者にこう頼みました。もう一つの目を赤子のために差し上げます。ただ、私は盲目になってしまうので子の成長を見ることができません。三井寺の鐘を撞いて子の無事を知らせてください。年の暮れには、できるだけたくさん撞いて1年が過ぎた事を知らせてください。お返しに人々に幸運を授けましょう」この時より三井寺では晩の鐘を撞き、大晦日には龍神に灯明を献じ、目玉餅を供えるそうです。そして、108回に拘らず、できるだけ多くの人々に鐘を撞いてもらうようになったのだとか。】

「湖の伝説」の佐々木さんの解説を引用いたします。【「湖の伝説」では、二つめの目玉をなずな(娘)に与え、羽の付いた羽衣で空高く飛翔し天に帰らんとする姿(三橋節子自身)を描く・・(中略)「これまでなずなのことあまり描いていなくてごめんね。なずなの事もお兄ちゃんと同じくらい大好きよ」という節子さんの声が聞こえてきそうである。「死んでもなお娘のことを思い続けよう」との母の愛の決意が読み取れる。】佐々木さんのアートの見方、読み方は素晴らしいです。

滋賀県大津市に「三橋節子美術館」があります。私は本書を読んで、三橋節子さんの作品を鑑賞したくなりました。2024年には三橋節子美術館を訪れてみたいと考えています。

なお本書では表題作のほか佐々木さんの幅広い趣味に根差したエッセイ6篇が収録されています。この本にご興味を持たれた方は、アマゾン、楽天ブックス等のネットで注文することをお勧めします。残念ながらこの本が買える書店は限られています。

1件のコメント

  1. ピンバック: アート鑑賞について 三橋節子作:三井の晩鐘を題材にして! | 京西清談(きょうさいせいだん)

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