京西清談は、私が東京の世田谷に住んでいるからと、気持ちが癒される、あるいは、”ほっ”とする話題を提供したいからです。
 
アート鑑賞について 三橋節子作:三井の晩鐘を題材にして!

アート鑑賞について 三橋節子作:三井の晩鐘を題材にして!

生成AIの時代、客観的なことより主観的なことがより重要になると思います。今までは記憶力が良い人が頭が良いと言われてきました。しかし、その能力は生成AIにとって代わられつつあります。これからはアート的能力の高い人が求められます。アート的能力とは既成概念にとらわれないで自由に考える能力です。ある事象が起きた時、学識経験者と称する人の言っていることを鵜呑みにするのでなく、自分で答えを見つけ出すことが大事になってきます。アート的能力とは自己判断する能力と考えます。夭逝の画家、三橋節子さんの作品「三井の晩鐘」を取り上げます。

三橋節子さんは34歳の時、右鎖骨腫瘍で右手を切断する手術をしました。絵筆を左手に持ち替えて絵を描く練習をして、創作活動を続けました。その時、余命1年との診断が下されていたのです。三橋さんは手術後近江昔話を題材した作品を連作します。その中の作品に「三井の晩鐘」があります。

近江昔話「三井の晩鐘」を引用します。【昔、近江の滋賀の里にすむ一人の若者が魚を売って暮らしていた。いつ頃からか美しい娘が漁に出る若者を見送るようになり、やがて二人は夫婦になる。ところが、子供まで生まれたある日、女は自分が琵琶湖の竜神の化身であり、もう湖にもどらねばならないことを告げ、男が止めるのにもかかわらず湖へ沈んでしまった。男は昼間はもらい乳をして子を育て、夜は浜へ出て呼び、現われた妻が乳を飲ませて去ってゆくという毎日であったが、ある時、妻は自分の右の目玉をくり抜いて乳の代わりにと渡す。子供は目玉をなめると泣きやんだが、しばらくしてなめつくしたので、浜に出て今度は左の目玉をもらってやる。その時妻は、両目が無くなって方角もわからないから、毎晩三井寺の釣鐘をついてくれ、それで二人の無事も確かめられるので──と頼む。それから毎晩、三井寺では晩鐘をつくようになったという】

それでは三橋節子さんの作品「三井の晩鐘」を自分流で鑑賞してみてください。

私は絵に関して門外漢です。つまり“絵の見方が分からい人”です。その私が「三井の晩鐘」ついて語ることは憚れますが、アート的能力開発には恥ずかしがってはいられないと考えます。私の「三井の晩鐘」評は以下の通りです。

先ず、私の第一印象は「スゴク暗い感じのする絵だなぁ」です。次に「両眼を失った女性の顔に何か温かみを感じられる。多分、この女性は三橋節子さん自身だと思う。そうすると眼をしゃぶっている子は彼女の子供だろう。ひとつ合点がいかない点は、鐘楼の大きさが不自然に大きいなぁです。この不自然な構図に何か三橋節子さんが絵を通じて伝えたいメッセージが体現されているのかなぁ」でした。そのメッセージを想像すると“人生とは”、“愛とは”、“不条理とは”に考えが広がっていきます。

みなさまも自分自身の「三井の晩鐘」評を試みてください。

PS: メールで転送された記事の場合、文章のみで絵が削除されています。その場合は直接ブログにアクセスお願いします。

 

コメントを残す