京西清談は、私が東京の世田谷に住んでいるからと、気持ちが癒される、あるいは、”ほっ”とする話題を提供したいからです。
 
直木賞受賞小説「木挽町のあだ討ち」読みませんか⁉

直木賞受賞小説「木挽町のあだ討ち」読みませんか⁉

木挽町のあだ討ち」著:永井紗耶子を読みました。この小説は第169回直木三十五賞、第36回山本周五郎賞を受賞した作品です。

この小説は次の文章で始まっています。【睦月晦日の戌の刻。辺りが暗くなった頃、木挽町芝居小屋の裏手にて一件の仇討あり。雪の降る中、赤い振袖を被き、傘をさした一人の若衆。そこに大柄な博徒が歩み寄り。女と見違え声をかけた。すると若衆、被いた振袖を投げつけて白装束となる。「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそわが父の仇、いざ尋常に勝負」朗々と名乗りを上げて大刀を構えた。対する博徒作兵衛門も長脇差を抜き放つ。道行く者も固唾をのんで見守る中、堂々たる真剣勝負の決闘。遂に菊之助が作兵衛に一太刀を浴びせた。返り血で白装束を真っ赤に染め、作兵衛の首級を上げた菊之助。野次馬をかき分けて宵闇に前書きの後に姿を消した。

この一件、巷間にて「木挽町の仇討ち」と呼ばれる。】

木挽町(こびきちょう)は東京、銀座からちょっと外れた場所にあります。銀座4丁目の交差点を東銀座に向かって進むと歌舞伎座があります。歌舞伎座のある界隈が木挽町です。江戸時代、木挽町には数多くの芝居小屋がありました。この仇討を目撃した人々は木挽町で生業を営む人々、つまり、芝居小屋で働く殺陣師、衣装係、小道具職人、筋書、木戸芸者達です。彼らの話を通じて仇討の真相が詳らかにされます。

永井紗耶子さんの文章は声を出して読むと言葉が音楽のように響く、あるいは落語を聞いているような気持ちになります。一服の清涼剤のように読んで気持ちよくさせる小説です。参考のため、原文を一部引用します。衣装係に話を聞きたいと訪ねた時の場面です。当に落語の語り口です。

【第三幕衣裳部屋の場

ちょいととっとと入って、そこの引き戸を閉めなさいよ。戸口で武士に両手をついて頭を下げられたらこっちが叱られちまう。

全くお前さんもしつこいね・・・これで何日目だい。ひのふの・・・5日ぐらいかい。お武家ってのは、よほど暇なのかね。お国への土産でも買いに出たり、茶屋で遊んだり、他にもすることがあるだろうに。こんな小太りの女形と狭い衣裳部屋に鎮座ましましているんじゃつまらないだろう。

ああいいよ、もう手伝ってくれなくて。おとといだってお前さんがお手伝い申し上げるなんてきりりと眉を吊り上げて言うもんだから、よほど、裁縫の腕に覚えがあるかと思いきや、まあ見事な荒業で、あれじゃあ、たもとから岩がすり抜けるってもんさ。おかげで一回ほどいて縫い直さなきゃいけなくて、却って仕事が増えちまった。】

作者の永井さんのコメントを引用します。【文化・文政の頃というのは、読者が最もイメージしやすい「江戸時代」なんです。当時は天明の大飢饉(1782~88年)を乗り越えて経済も活発化し、歌舞伎や人形浄瑠璃、浮世絵などの町人文化が栄えました。いわゆる「花のお江戸」を体現した時代なので、歴史の知識があまりない読者でも物語世界に入り込みやすいと考えました。また、当時は表向きには華やかな時代だった一方で、出自・身分によって人生が大きく左右され、貧富の格差もあった。現代で言う「親ガチャ」的な生きづらさが感じられます。】

「木挽町のあだ討ち」を読むと、作者の意図がはっきりわかります。この小説は肩肘を張らずにあなたの隙間時間に読めます。

 

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